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 関連の取組み

IACニューヨーク法廷参加団、元気に帰国
8/26、ICTA判決を世界に広める
国連各国代表部に判決を配布、法廷でも証言

< 参加団報告 >

 今回開催されたニューヨーク法廷は、IACが主催する独立法廷です。既に全世界で開催されている、イラク世界法廷(WTI)やブラッセル法廷、ドイツ法廷、イラク国際戦犯民衆法廷(ICTI)、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷(ICTA)と連携しながら、IACがイラク戦犯法廷として開催したものです。
私達(ICTA及びICTI)はIACからの招請を受け、合同参加団として法廷に参加しました。

 ニューヨーク法廷参加団は、前田朗共同代表を団長とする、ICTA/ICTI合同の10名です。現地でさらに「平和と民主主義をめざす全国交歓会」ツアー団など3名が合流しました。

 日本から持ち込んだのは、
 ・「アフガニスタン国際戦犯民衆法廷」の判決 300部
 ・4人の法廷意見 25部
 ・英語版ビデオ「ブッシュを裁こう」Part1 10本
 ・英語版ビデオ「ブッシュを裁こう」Part2 30本
 ・ビデオ上映宣伝ポスター 数枚
 ・ICTI起訴状 30冊
 ・アフガン写真集 10冊
 ・ICTA/ICTI宣伝用名刺各々 300枚
 ・ICTA横断幕
 などなどです。

8/24
成田発の4時間遅れが影響し、JFK空港に降り立ったのは午後7時30分過ぎ。ホテルはエンパイアー・ステートビルのすぐ隣。全員お疲れで、近くのコリアンタウンで遅めの食事(とお酒)をし、お休み。

8/25
いよいよ、「ブッシュ有罪!」を宣告した「アフガニスタン国際戦犯民衆法廷」判決を持って各国国連代表部を訪問する1日行動です。70数ヶ国をリストアップし、3チームに別れ、地図を頼りに各国代表部が入居するビルを探し当て、飛び込みで、各ビルのセキュリティ・ガードに、
「日本からきたピース・ムーブメントだ。各国代表部に届けたいメーセージがあるので会いたい」
と面会を申し入れました。対応は様々。

安原、高瀬、竹内チームは安原団員の流暢な英語で次々にガード達を説得。
「このビルにはカナダ代表部もあるぞ。メーセージは届けなくていいのか?」
「ありがとう。重要なメッセージなので是非届けたい」
「判った。俺が届けてやる。」等々、予想以上の代表部に判決を届けることが出来た。

前田、木村朋、稲森チームは、政府代表部ばっかり入っている建物だったためか、「アポイントがなければダメだ。」の対応。しかたなく、ビル前の路上で、3人で車座に座って各国政府代表部に携帯で電話を入れ、ようやくレバノン政府にアポイントを取り、メッセージを渡せたけれども、ガードは「全部アポイントをとれ!」の指示。しかたなくまた路上から電話をかけ、ようやくアポイントをとって、ガードに「アポイントをとったから入れてくれ」と要請するも、今度は「ダメだ!」の一点張り。はては、
「アポイントをとっているのになぜ会わせない」
「名を名乗れ!」
「その必要はない!」とセキュリティ・ガードと大喧嘩。
「僕も怒鳴りたかったけど、英語で言えなくて残念!」と悔しがる稲森団員。
「路上で座り込んで、電話し、メモをとっていたから、不審人物と思われたためか、ビルから追い出されました」とは前田弁(当然か)。

清水竹、清水さ、高田チームはフットワーク軽く一番遠いコース。アフガニスタン、イラク代表部とは会って話をし、記念写真を撮るなど好調。

午後1時に、国連ビル前に集合し、各チームの「奮闘」を称えあいながら食事をし、その後、全員で国連ビル前のビルを廻りました。ここでも安原団員の英語力が遺憾なく発揮され、「1人だけなら、中に入って代表部に直接届けてもよい」の返事を貰い、順番に届け30ヶ国を超える代表部に直接「ブッシュ有罪」の判決を届けることが出来ました(残りは全部郵送しました)。

「ブッシュ有罪」判決を持って、1日、国連ビル周辺を席巻したICTA/ICTI合同ニューヨーク訪問団でした。

夕方は国連ビル本部前のチャーチセンターでIAC主催のパーティに参加しました。ジョン・H・キム弁護士、ピーター・アーリンダ弁護士などお世話になった方々と再会を喜び合い、楽しいひと時を過ごしました。


8/26
IAC主催のイラク戦犯法廷(マーティン・ルーサー・キング・オウディトリアム)に全員で参加。

驚いたのは、会場入口で入国審査顔負けの荷物及びボディチェックが行なわれたこと。確かに、右翼が爆弾でも持ち込んだら大変なことになるとは思うが、それにしても警察の妨害がひどい。全体が30分以上遅れて開会。

訪問団も全員、荷物チェック、ボディチェックを受けた後会場に入り、メインホール入り口の真ん前で店開きをし、ポスターを貼り出し、ビデオ、起訴状、判決、写真集をならべて宣伝。ここを拠点に別会場でビデオPart1、Part2の上映会を行い、各Hearingに参加し、証言を行なった。(清水団員に用意して頂いた、アフガニスタンの戦争被害調査ビデオは機材の不足の為、残念でしたが上映できませんでした)

午後3時30分から6時まで、10会場に分かれ、Hearing(聴聞会)が開催された。

青年が次々と登壇、ブッシュを起訴

 Hearings #1 
  各世界法廷からの報告
  ここで前田団長がICTA及びICTIまとめて証言
  稲森団員がICTI法廷の内容・構成を詳しく証言
 Hearings #2 
  中東及び東アフリカにおける戦争計画とその準備
 Hearings #3 
  東アジアにおける戦争と侵略の計画及びその準備
  高瀬が「日米安保と日本におけるイラク反戦運動の現状」を証言
 Hearings #4
  ラテンアメリカとカリブ海における侵略と戦争計画及びその準備
 Hearings #5
  イラク市民と経済インフラへの攻撃
  安原団員が「占領下における女性に対する暴力」を証言
 Hearings #6
  違法かつ禁止兵器の使用
 Hearings #7
  違法な拘留、拷問、及び民衆抑圧
 Hearings #8
  違法な命令を拒否する権利
 Hearings #9
  アメリカによる資源の盗み取り
 Hearings #10
  抵抗権及び自決権

事前に送ってあった前田団長のレポートが印刷されておらず、四苦八苦の証言だったとのこと。しかし、前田証言、稲森証言ともとても好評だったとのこと。

前田朗 団長
稲森 団員
安原団員の証言は彼女のイラク調査団の体験をベースにしたものでこれも大きな拍手があったとのこと。一番心配された高瀬証言も事前の(英文)読み込みの特訓の成果か、内容が参加者に伝わったらしく大きな拍手。大好評(高瀬評)。
全体セッション(6時30分―10時)では、前田団長、稲森団員が最初の証言者。

冒頭、ブッシュ大統領以下、チェイニー副大統領、パウエル、ラムズフェルド、アッシュクロフト、トミー・フランクス、ジュージ・テネット、ポール・ブレマー、ジョー・ネグロポンテ他が平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪を犯し、国連憲章違反、国際法違反、合衆国憲法及びそこから導かれる諸法に違反しているとして、19の罪で起訴。
以降、1人3分で30名が次から次へと証言し、最後にラムゼー・クラーク氏が締めの演説を行なった。

ラムゼー・クラーク氏
フィナーレはサラ・フラウンダーズ氏の壇上からの「ギルティ」コールに、法廷傍聴者が法廷途中に配布されたレッド・カードを掲げ、「ギルティ」「ギルティ」のコールで応え、全員一致で有罪を確定し、会場総立ちの熱気の中で法廷は終った。
赤い札をあげて「ブッシュ有罪」
法廷というよりは、デモ直前の「決起集会」風の法廷でした。
法廷は全体で400名程度の参加。日本から2桁の参加は海外参加団中最大。合計6本の証言を行い、持ち込んだ資料は完全配布(ビデオ以外)しました。会場スタッフの間でも、全体セッションで「日本が2人も証言するのは始めてのこと。」「素晴らしい」と語られていたとのこと。

ICTA/ICTI運動を世界に広げていく上で、極めて積極的な役割を果たしたニューヨーク行動でした。 

(報告:高瀬)


尚、前田、高瀬は8月27日帰国しましたが、他の団員は29日の30万人デモに参加し帰国しました。報告に期待したいと思います。


8月29日 ニューヨークデモ報告
Solidarity with the Resistance! Bring Troops Home Now!
のプラカードとレインボーフラッグでミリオンマーチに参加!

 29日、いよいよ共和党大会の初日に当てたUFPJ(United for Peace and Justice)のデモ当日。よく晴れて、暑さの厳しい一日が予想されるような朝だった。
 朝8時半、突然安原さんから、午後からと言われていたデモの開始が午前中からに早まり、9時半までに14丁目のIACのオフィス前に集合するように、という緊急の電話があった。
 地下鉄の駅を降りると、すでに道にはデモに参加すべく思い思いのプラカードやバナーを持った人々が三々五々集まってきていた。このときすでに東京のデモとの温度差を感じた。
 わたしたちICTA/ICTIの面々が、プラカードを掲げたり、レインボーフラッグをマントのように肩から掛けたり腰に巻いていると、東洋人が珍しいのか、いろんな人が写真に撮らせてくれとやってきた。ビデオ撮影のインタビューに応じる者もいて、持参していたICTAやICTIの宣伝カードを渡したり、法廷運動の説明を行った。
10時半頃にはデモ出発点の21丁目付近は身動きも取れないほどの人でごった返していた。11時半、デモは予定通り歩き始めた。
 日本で参加したアメリカのイラク攻撃反対のデモと決定的に違って、目からうろこが落ちたのは、まず、マンハッタンの主要な道路である7番街や5番街、そしてブロードウェイを歩けること、そしてその大通り全部をデモ隊が占めることができることだった。東京で人のいない銀座のしょぼい裏道を通らされたときの屈辱感を思い出す。
 参加者は自作や印刷ものの様々なスローガンが書かれたプラカードを持っていた。一例を挙げてみると、特に多かったのが「WHEN BUSH LIES, WHO DIES」、そして「NO ONE DIED WHEN CLINTON LIED」、「WHEN BUSH LIES A THOUSAND DIE」。嘘つきブッシュが定着しているようだ。他にも「SAVE AMERICA DEFEAT BUSH」」、「HOW MANY LIVES PER GALLON?」、「STRIKE FIRST, JUSTIFY LATER」、「PUSH BUSH OUT THE DOOR」、「COUNTING BODIES LIKE SHEEP TO THE RHYTHM OF THE WAR DRUM」とある。わたしたちもIAC作成の「Solidarity with the Resistance! Bring Troops Home Now!」と書かれたプラカードを持って歩いた。
 そして、歩いている人たちはほんとうに自発的に意思表明をしようと集まってきた。それも全米各地から。たとえばワシントンDCからだと、バスを仕立てて大勢で参加するのだそうだ。また日本からわたしたちが参加したように、世界中の人々が集まっていた。昼食を食べたレストランで隣に座っていたのはオーストラリアのタスマニアからやってきた男性だった。どこからやってきたか、だけが問題なのではない。どういう人が参加していたか。足が不自由で車いすの人、杖をついている人、妊婦、子連れ(ベビーカーのふたごもいた)、若い人、年老いた人(杖代わりのショッピングカートを押しながら、カートにスローガンをつけて歩いていた女性)、犬連れ、猫連れ、などなど。みんな怒りと抗議の気持を表しつつ、楽しみながら歩いているように見えた。
 デモは共和党大会の会場、マディソン・スクェア・ガーデンの正面玄関前も通った。その警備も見ものだった。当然警官は大勢いたが、SPなのか公安(?)なのか、人相の悪いダークスーツでサングラスをかけた男たちが、じっとデモ隊のことをにらんでいる。とはいえ、またもや日本のデモと較べてしまう。抗議する相手の目の前を歩くデモの許可が下りるのだろうか、と。
 デモの最後を飾ったのは、無数の棺桶だった。これは段ボール製の棺桶の形の上に星条旗を覆い、イラク戦争で死亡した米兵の数を表したものだという。ここ、アメリカでは人の目を引きつけ、被害をわかりやすく示しているのだろう。でもこれはあまりに自己中心的でないか。この棺桶の何倍ものイラクの人々がアメリカ軍によって殺されているのだから。またプラカードのスローガンも必ずしも納得できるものばかりではなかった。
 最後にこれもデモに慣れているアメリカを表すのだろうけれど、UFPJのボランティアたちが、デモ隊の廻りで配っていたのが、「デモのルート図と逮捕されたときの法的心得」だった。英語とスペイン語の4つ折りチラシである。万一逮捕された場合でも、あなたは法的に守られる、弁護士に1本電話をかける権利はあるのだ、というもの。日本のデモはまだまだ甘い。
 11時半から始まったデモの最後尾が終点のユニオン・スクェアに到着したのは5時をまわっていた。そしてデモはその最中に参加者総数40万人と発表され、その後50万人とも、ミリオンマーチとも報道された。

(清水さつき)



 
「アフガニスタン国際戦犯民衆法廷」実行委員会 The International Criminal Tribunal for Afghanistan